事務所兼自宅

ユーザー TAM建築設計室 新井敏洋 の写真

住まいをつくるときは、家族のこと将来のことを考えて設計します。

私共の住まいは事務所兼自宅です。
住まいづくりで考えたことをお話します。

住まいづくり前は、練馬区の光が丘団地の3LDKに夫婦と小学6年、中学3年の息子と1室を事務所として住んでいました。

光が丘公園が隣接し、そこには多くの緑地と広場、グラウンド、野球場、テニスコート、図書館、体育館があり、団地内にも巨木や沼やせせらぎ、水田、遊具など特色のある小さな公園が点在し行政分室、地域病院、医療施設、ショッピングセンター、飲食店街等、団地内には小学校が8つ、中学が4つ、公立幼稚園4つあり生活環境的にはとても良いところです。

住まいは駅から2分、光が丘公園まで2分で窓からは豊島園の花火、富士山の見えるとても良い場所でした。

子供が生まれてから成長する場所で、そこでの職住接近はとても楽しい時間でした。
時間の融通が利く仕事で、家族と仕事を切り離していない考えを常に話していたこともあるかもしれません。
現場に子供を連れていったり、オープニングにも子供たちも参加させてもらいました。

職住接近は修業時代の故宮脇檀先生の影響があるのかもしれません。
宮脇檀建築研究室は代官山のマンション1階にあり5階に先生のお住まいがありました。

事務所の旅行や食事会、パーテーィは家族同伴でOB、OGも参加、時々先生の中学生の娘
さんも参加していました。
娘さんは事務所へも時々現れ話をしていきました。
5階を分室とし3階が新しい住まいとなると、分室でのお手伝いさんによる昼食の賄い、
恒例のターキーパーティ翌日やコンペ完了の翌朝は先生の賄によるスパイスからのカレー
の賄い、5時になると事務所でいただき物の飲食となります。
地方での仕事が多いので、クライアントさんからの贈り物、出張土産など楽しいひと時でした。

住み始めて1年後に義父が亡くなり義母は団地内の別の棟に引っ越してもらいました。
5分程度で行き来できる丁度良い距離でした。
私の母が病気で都内に通院するようになると同時に父の具合が悪くなり亡くなって、母もまた団地に来てもらい、そこの一部屋を事務所としました。
母が亡くなり、子供たちの生活も変わり、私共も義母も賃貸住宅のため、事務所兼自宅兼母宅を検討しました。
息子たちの学業のため近隣で土地を探した結果、敷地30坪、延床30坪での住まいづくりとなりました。

敷地は8軒の開発土地の一つ、南面が大きな駐車場で西面が大きな生産緑地です。
8軒が一緒に生活を始めるところにも魅力を感じました。
新設5m道路の突き当り南側が敷地になります。
南、西が今のところオープンで東の道路部が今後とも視界の抜ける場所となります。
建蔽率50%のため将来的にも視界の抜ける東方向に開く建物形状とし、そこに出来るだけのオープンスペースを取り、高木の緑を部屋のどこからも見れるような住まいづくりとしました。
延床30坪の自宅、義母住まい、事務所は将来を考え、木造でも建物外壁だけで成り立つような構造と仕上げとしています。
義母の住まいは介護利用のために独立式となりましたが、将来賃貸でも事務所利用でも良いと考えました。
職住接近の事務所はオープンでも良いと考えると、広さも確保で出来てその時々で十分に機能しました。
作業、打合せ場所、ファイル棚、サンプル棚、事務機器等何とか納まります。
現在は、南に2階建て住宅、西に4階建て共同住宅が建ち、事務所の日照は悪くなりましたが、設計時に予想できたことです。
生活は常に変化していきますので、住まいづくりはこれからどうなるか、どうしたいかの想像が大切です。

小さな家~緑の中で暮らすアトリエ付住宅~をご紹介します。
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