渡辺篤史の建もの探訪ー四隅から明かりを採る家(中塚大介、中塚基子・ー)

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感想: 

 
「『なるほど。』って言ってた?」
 私が「建もの探訪」を見る水曜日の朝、私の夫はきく。彼は「建もの探訪」は見たことがなくて、それでも渡辺篤史さんのものまねはたくさん見たそうで、そういう番組があることも、渡辺さんが「なるほど」って言うことも知っているのだ。
 「玄関に入る前までに、もう既に2回『なるほど』って言っていたし、今日はとりわけ、『あー気持ちいいですねえ』って、たくさん言っていたよ。」
 番組の始まりに「なるほど」のことを思い出して、今回はちょっと、なるほどを数えてみた。
 
                    ◇ ◇ ◇

 今日の建ものはこちら。
 http://www.tv-asahi.co.jp/tatemono/backnumber/#!/2013/42
「四隅から明かりを採る家」。
 
                    ◇ ◇ ◇
 
 番組を見る前に番組HPをのぞいてみた時、「やけにすきっとしたお家だなあ」と思ったけれど、やっぱりすきっとしていた。ただ、番組を見終わった時、「なるほど」を数えることに夢中だったせいではなく、 ちょっと悪くいえば、「家」としての印象が、なんだか薄かったなあと思った。
 
 「きれいな図書館に行った時に感じるかんじ。」
と、しばらく考えて言葉を見つけた。
 大手建設会社の建築部に所属されているご夫婦が、自ら設計した自邸。ご夫婦はオフィスやホテルの設計にそれぞれ携わっておられるというから、私が見つけた言葉も大きく的外れではないのかもしれない。十分に機能的で無駄がなくて、特定の趣味趣向で有機的なものを置いたり飾ったりすることを前提としていなくて、それだけで十分に美しい建もの。
 
 ただ、すごく周到に練られた美しい建ものだけれど、なにか「家」ではないような、そんな印象もあった。「家」であるならば、人間くささや暮らしのストーリーがもっともっとにじんでいる方が、もっともっとよい色気があって魅力的な気がする。
 
                    ◇ ◇ ◇
 
 生活くささに欠ける、そんな印象はあったけれど、玄関を入ってすぐ目に入る木製の階段は本当に美しくて、「わあ!素敵!」と、思わずため息が出てしまった。木製で、黒く塗られた鉄の手すりで縁取られている。でき上がった壁には絵を壁にかけることしかできないけれど、自分が美しいと思うものを建ものに取り込んでしまえるのだから、「自分で設計する」というのは、本当に素敵なことだ。
 
                    ◇ ◇ ◇
 
 もし私がこのお家に住んだら、、、。
 何より楽しみなのは、やはりこの建ものキーワードでもある四隅の窓。
 特に2階にあるダイニングでは、外からは中が見えない縦に大きなフィックス窓。そこから通りを行き交う人を毎日ぼんやり眺められる。
 朝食を食べながら、
「あの人が通ったから、6時45分。」、
「今日はみんなダウン着ているから、お外は寒いのね。」。
ほっと一息つきながら、
「あ、素敵なベレー帽が通った!」、
「静かな日だねえ。みんなどこへ行ったかしらん。」
 
 街を、人を、空を含めて切り取った窓があるのは、とても豊かだ。この「街」に住んでいるんだ、と、毎日ちゃんと感じられることは、とても大切だ。
 我が家の窓から見えるのは社宅の駐車場。窓辺のシクラメンの後ろに見えるそれらは、少々変化に乏しく、もっと「街」に開いていたらよいのに、といつも思う。