渡辺篤史の建もの探訪ー3.6m×16m 国産材・木組みの町家(瀬野和広・瀬野和広+設計アトリエ)

ユーザー 建もの探訪ファン の写真
建もの探訪ファン
感想: 

 今回の”3.6m×16m 国産材・木組みの町家”は、 丁寧に設計された、潔い家だった。
 玄関を入ると5畳の土間。土間の奥には、対面式の炊事カウンターと食卓が一続きになった台がどーんと配されている。床は、玄関から続く土間、炊事スペースの板の床、掘りごたつ形式になった一段高い畳と一続きになっている。「居酒屋みたい」といわれるという、みんなのスペース。土間から奥まで20畳の大空間一部屋の1階。そして、プライベートな2階。2階には、水回り、吹き抜けに面した書斎スペース、そして寝室としての和室が1部屋。
 
 小さな部屋を配したり区切ったりしないとてもシンプルなつくりで、 この家族が自分達の家として、この「木組みの町家」というこの形を選んだことが、とても潔いことに感じて、私はすっかり憧れと尊敬の念をもってしまった。
 
 先2週で紹介されたワンルームのお家と同じように、家族それぞれに個室を割り当てて暮らす家ではない。オープンな一続きの空間の中で、家族それぞれが自由に場所を選んで過ごす家。でも、このお家にとりわけ強く感じたのは、独特の緊張感だ。
 自由に空間を使える。でもそれは、どこかを「独占」して使うのではなくて、常に、みんなの場所であると意識して使わなくてはいけないという緊張感がある。そして特に、1階のみんなのスーペースの「みんな」は、家族だけでなく、外から来る人のことでもあるのだから。
 
 玄関の土間からすぐ目に入る炊事場では、いつでもすっきり片付けて磨いておかなくてはいけないし、小料理屋のおかみさんやカウンターに立つお寿司屋さんのように、小気味好く働くところを見せなくっちゃと思うと、背筋が伸びる。お洋服をくちゃくちゃにしまったり、机の上に教科書を出しっ放したら、家族も困る。勉強するお兄ちゃんの真横でピアノを弾き狂うわけにはいかないし、ないしょやこっそり、には、いろいろ工夫と信頼関係も必要だ。
 
 こんな「みんなの空間」で思いやって暮らすということは、かけがえのないことだと思う。背筋の伸びるような、でも温かみのある厳しさがある。
 もっとも、私は独占の個室も大好きだけれども。自分がやりたいことを、やりたいようにやってみる、やりたいように時間や空間を使ってみる、というのも、とても創造的で素敵なことだ。もし、この家族の子供達が一人暮らしでもするようになったら、また世の中は大きく変わってみえるのではないかと思う。
 
 
 そしてもうひとつ、国産材の木組みという丁寧な家づくりが、とても魅力的だった。
 
 私の実家は父が建てた木造住宅。先日帰省して自分の部屋だったところに横になったら、天井の木の色が、子供の頃に見上げた「おばあちゃんちの色」になっていた。確かに両親はおじいちゃん、おばあちゃんと呼ばれるようになった。実家も、おじいちゃんとおばあちゃんち、と呼ばれる家になった。天井の柱の深い色をみて、確実に家も年をとったのだなあと思うと、たまらなく愛おしい気持ちになって、なんだかとても嬉しかった。
 
 丁寧に設計され、 丁寧に育てられた木材で、 丁寧に建てられた家。家族全員の手で、丁寧に「みんなの空間」を守っていけたら、この家は、本当に素敵に年をとっていくのだろうなと、実家の天井と柱を思い出して想像した。家を育てるかのように、毎日掃除できたら、楽しいろうな、嬉しいろうな、と思う。
 こういうことに思いを巡らせると、社宅住まいの私は、自分達の家をもつことにやっぱりひどく憧れる。